インターネットという、広大な情報の海。
しかし現代人というのは、その海を自由に揺蕩っているのではなく、実は『誰かが用意した水槽の中で、作られた水流に乗り、与えられた餌を食べて太らされている』のではないだろうか。
多くの者は『泳いでいる』のではなく、ただ『泳がされている』だけなのかもしれない。そんな疑問が頭をよぎる。
最初のうちは、SNSのアルゴリズムなどによって情報を選ばれることに、少なからず違和感を覚えていた人も多いだろう。「余計なお世話」「自分の見たいものくらい自分で選ぶ」と。
しかし、いつの間にかその違和感は消え『おすすめ』として差し出される情報を、当たり前のように受け入れるようになってしまった。無論、おすすめの精度が上がっているのも事実ではあるが、そのために他の情報を探す努力さえしなくなっている。
これがどれほど恐ろしいことなのか、我々はあまりにも無自覚だ。
情報を効率的に得ているつもりでいても、実際は自分にとって心地よいものだけをただ受動的に眺めている。そんなアルゴリズムによって最適化された世界は、便利で快適だ。
しかしその快適さに甘んじることで、我々は知らぬ間に情報に鈍感になっているのではないだろうか。
情報に鈍感になると、どうなるのか。
たとえば、快楽や簡便性を追い求めるあまり、本当に重要な話題を見逃してしまうことがある。
SNSで目にするのは、センセーショナルでドラマティックな話ばかり。大袈裟な物語性を持った情報には惹きつけられるが、それに隠れた地味だが重要な事実には、目を向けられなくなっていく。
さらには、真偽や正誤を判断する力も鈍っていく。『信じたいものだけを信じる』という傾向は、アルゴリズムに囲まれた環境ではますます強まる。無意識のうちに、自分の中で都合の良い物語だけを消化する癖がついてしまうのだ。
今でき得ること
感情に流されない
感情を揺さぶるような情報に引き寄せられやすいのは、人間の自然な反応だ。
しかし、それが『本当に信頼できる情報かどうか』を冷静に考えることが現代では重要である。
ドラマティックでセンセーショナルな内容は、我々を惹きつけやすいが『その背後に隠れた真実を見逃す』ことになりかねない。
感情だけで判断するのではなく、情報の正確性や信憑性を見極める意識を持つべきだろう。
知らないことを受け入れ、積極的に調べる
現代は情報過多の時代で、全てのことを知ることは不可能だ。
しかし、それを「どうせ分からないから…」と諦めてしまうのではなく、『知らないことを受け入れ』『積極的に調べ、学ぶ』姿勢が必要だろう。
流れてくるおすすめをただ眺めているだけでは、限られた情報しか得られない。無意識に流されていることに気づいてようやく、情報選択の力を取り戻すことができる。
本当の意味での自由とは、ただ与えられた水流に身を任せることではない。
まず自分がどこを泳いでいるのか、その場所を把握する。無意識に流されず、能動的に情報を選ぶ。
情報の海は広大で、我々を取り巻く世界は日々変化している。
だからこそ、舵を取ろう。